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マグロのサプライチェーンに潜む人権侵害 ――2024 責任あるマグロ類調達シンポジウムレポート②

東京サステナブルシーフード・サミット(以下、TSSS)が10回目の節目を迎える今年、シーフードレガシーは2030年に向けて「サステナブル・シーフードを流通の主流に」という目標を掲げています。とくに、目標達成のカギとなる魚種であるマグロ類についてステークホルダーが協働して課題に取り組むために、2024年6月7日、「ROAD to TSSS 2024  責任あるマグロ類調達シンポジウム」を開催しました。本セッションでは、NGOや国際機関のエキスパートが、マグロのサプライチェーンにおける人権侵害と強制労働の課題について議論しました。


セッション2の登壇者(敬称略)
モデレーター:
ギャレット・オクラシンスキー(Garrett Okrasinski)Fish Wise ソーシャル・レスポンシビリティ プロジェクト・ディレクター
パネリスト:
中島 力 Environmental Justice Foundation (EJF)  日本担当
田中 竜介 国際労働機関(ILO)駐日事務所 プログラムオフィサー(渉外・労働基準専門官)
ダリル・デルガド(Daryll Delgado) Dignity in Work for All(DIWA)  リサーチ・アンド・ステークホルダー・エンゲージメント シニア・ディレクター


日本企業の行動が求められている

世界のマグロ産業は年間400億米ドル以上の規模で、食品エコシステムの重要な部分を占めています。しかし、その繁栄の裏には複雑な課題が網の目のように広がり、サプライチェーンに身を置く多くの労働者に深刻な人権侵害が指摘されています。強制労働、人身取引、劣悪な労働条件の報告が後を絶たず、しかも多くは外洋で起きているため対応が困難です。



モデレーターを務めたFishWise ソーシャル・レスポンシビリティ
プロジェクト・ディレクターのギャレット・オクラシンスキーさん



モデレーターを務めたアメリカのNGO FishWiseのギャレット・オクラシンスキーさんは、ヨーロッパでは企業持続可能性デューデリジェンス指令(Corporate Sustainability Due Diligence Directive; CSDDD)が採択され、大企業に人権・環境のデューデリジェンスを求めていること、また、欧米の小売企業では、トレーサビリティの向上や監視の強化などの取り組みを進めていることを紹介しました。そして、会場参加者に「世界的なマグロ生産者である日本のような主要パートナーとの協力が不可欠。日本の企業にとって行動することが重要」と呼びかけました。


人権侵害が絡んだマグロが日本市場に流入するリスク 


IUU(違法・無報告・無規制、Illegal, Unreported and Unregulated)漁業は、不適切な労働条件や人身売買など、様々な犯罪と密接に関連しています。イギリスに本部を置く国際NGO Environmental Justice Foundation(EJF)の中島力さんは、過剰漁獲と労働者搾取の関連性として、コスト削減のために人件費がカットされる悪循環を指摘しました。



過剰漁獲と労働者搾取との関連性(資料提供:EJF)



被害者の多くは、インドネシア、タイ、フィリピンからの移民労働者で、貧困や教育不足のため、不明確な契約のまま漁船に乗せられるケースが多く見られます。彼らは長期間帰国できず、暴力や強制労働、金銭的搾取の被害に遭っています。
中島さんは、EJFの報告書から、中国の大洋世家オーシャンファミリー社(ZOF社)の例を紹介しました。EJFが行った聞き取り調査によると、ZOF社が所有し、地域漁業管理機関(RFMO)の認可を受けたマグロはえ縄漁船22隻のうち12隻の乗組員から被害の証言が得られ、同社が組織的に人権侵害およびIUU漁業を行っていることが示唆されました。さらには、日本企業4社がZOF社と取引があることも判明し、人権侵害が行われた船が漁獲したマグロが、洋上転載により日本に流入した可能性が示唆されました。



水産サプライチェーンにおける洋上転載(資料提供:EJF)



このような問題の対策として、中島さんは透明性とトレーサビリティの強化の必要性を指摘し、とくにIUU漁業および人権侵害由来の水産物の供給を絶つために、輸入管理体制の強化が重要であると強調しました。そのために、大きなマーケットである日本で、水産業界のステークホルダーたちが一丸となり、日本政府に対して水産流通適正化法の対象魚種(第二種)の拡大や輸入の際の適法採捕証明書等への人権に関する報告内容の追加を求めることを提案しました。


Environmental Justice Foundation(EJF)日本担当の中島力さん



働く人の尊厳を守るフィリピンのNPOの取り組み 


労働者の権利の保護と企業の責任遂行の支援に長年取り組んできたフィリピンのNPO、Dignity in Work for All (DIWA)は、企業の人権デューデリジェンスプログラムの構築に注力しています。


Dignity in Work for All (DIWA)は様々なレポートを発表している(DIWA公式サイトより)



とくに水産業界に注目する理由として、DIWAのダリル・デルガドさんは、食生活におけるシーフードの重要性、労働集約性、人権侵害のリスク、複雑で不透明なグローバルサプライチェーンを挙げます。中でもマグロは世界の海を回遊しているので、マグロ漁業の問題は世界中に広がり、リクルートエージェント、船主、トレーダー、水産会社、小売業者など多くのプレーヤーが関与します。


「最も弱い立場にあるのは労働者」とデルガドさんは指摘します。漁船の乗組員もそうですが、マグロの一本釣りの漁師も弱い立場にあります。彼らは十代から一本釣りの仕事を始め、刺身になるような高品質のマグロを釣って、世界中の一流ブランドに売っています。かつては大きなマグロを釣ると、それで何年も暮らしていけるほどでしたが、今では自分が釣った魚の価値のつけられ方に透明性がなく、交渉力もありません。



Dignity in Work for All (DIWA)リサーチ・アンド・ステークホルダー・エンゲージメント
シニア・ディレクターのダリル・デルガドさん



デルガドさんは、「サステナビリティというのは魚の資源量が減らないということだけではなく、人々が継続的に、安全に、喜んで漁業に携わることができるような環境をつくり出さなければいけない」と強調しました。


漁船におけるディーセント・ワークの確保とILO条約 


ILO駐日事務所の田中竜介さんは、こうしたNGOの取り組みを高く評価しつつ、ILO統計上は、「強制労働、児童労働がここ数年で減っている状況ではない」という深刻な現状を指摘しました。

そして、この問題は国際的な競争力の課題でもあり、各企業が自社の課題として捉え、サプライチェーンにリスクが「ある」という前提でチェックする必要性を強調しました。


国際労働機関(ILO)駐日事務所プログラムオフィサーの田中竜介さん



国際的な漁業における不公正な採用慣行や劣悪な労働・生活環境などの大きな問題に対処するにあたっては、個社ごとの取組みだけでは解決できない構造的課題があり、また、自国の政府の力だけでも限界があります。

そこで、国際的なルール設定が求められ、2007年に漁業労働条約(ILO188号条約)が採択されました。ILOでは世界各国に批准を求めていますが、現時点では、加盟国187カ国中、21カ国の批准にとどまり、日本も未批准です。



ILO駐日事務所が発行している手引き



条約の内容には、労働者の保護を目的に、労働契約の締結、帰還の権利の保障、最低就労年齢の設定など、漁船におけるディーセント・ワークの確保に不可欠な要素が網羅されています。

中でも、田中さんは、苦情処理窓口(グリーバンスメカニズム)の重要性を強調し、「ビジネスと人権のエリアで大切な条件。サプライチェーンを遡ってもリスクを特定できない場合は、グリーバンスメカニズムにより声なき声を拾い、リスク発見の端緒にすることが大事」と述べました。


人権デューデリジェンスの落とし穴


企業の人権問題への取り組みについて、パネリストたちから、トレーサビリティの重要性や無料ツールの活用が指摘される一方、企業の姿勢も重視されました。「消費者に対しても、サプライヤーに対しても、解決していくぞという姿勢やコミットメントをアピールしていくことが大事」(中島)、「トップのコミットメントの連鎖が非常に重要」(田中)との指摘がありました。



パネルディスカッションの様子



人権デューデリジェンスの実践において陥りがちな落とし穴として、チェックボックス式アンケートに留まることや、自社のリスク回避のみに注力することが挙げられました。

「現場に踏み込み、小さな声を拾うグリーバンスメカニズムが大事。NGOとの対話や情報共有も重要」(中島)、「自社のリスクだけでなく、労働者や地域住民のリスクに焦点を当てることが大事。その意味で現場の近くにいるNGOの役割も重要」(田中)との指摘がありました。


とくに重要な点として、デルガドさんは「なぜ人権デューデリジェンスをやるのかという、その原点に立ち戻るべき」と述べ、「確かにコストがかかるプロセスだが、ビジネス存続のために必要不可欠。労働者の背景への理解、最も脆弱な労働者への注目、連携すべき相手の特定が重要」と指摘しました。


他業界から学び、企業ができること


他の業界では人権問題にどのように取り組んできたのでしょうか。田中さんは繊維業界の例を挙げ、ラナ・プラザ崩落事故後、サプライチェーンに亘る企業責任への期待など業界環境が急速に変化したと説明しました。

そして、日本の繊維業界が競争力低下に伴い外国人労働者に依存し、労働基準法違反率が上がった際に、業界団体でガイドラインの作成やバイヤーのイニシアティブなど、業界全体で取り組みが行われたことを紹介しました。デルガドさんはパーム油業界のマルチステークホルダーアプローチを紹介しました。

一企業では解決できない問題への取り組みについて、「企業とNGOの協力が水産業界の透明性を高める」(中島)、「サステナビリティと人権を事業全体に組み込み、サプライヤーへの支援や投資も重要」(デルガド)、「企業は社会からの期待に応える責任がある」(田中)といった意見が出されました。

とくに情報開示は「社会からの期待の把握に適したツール」と田中さんは指摘します。たとえば、充実した情報開示を行っているタイ・ユニオンのように、「情報を出して、市場やNGOなどの反応をもとに、自社の責任を把握していくことが重要」と述べました。


質疑応答では、人権問題におけるRFMOの役割、マンニング会社(船主や船の運航会社に対して船員を派遣する会社)のあり方、国際労働基準の実効性確保などが議論され、ILO188号条約の批准については慎重な意見も出されました。


質疑応答の時間より



水産業界に潜む人権問題の解決に向けて


将来の展望について、田中さんは水産業界の構造的課題の大きさを指摘したうえで、情報開示と企業取組み推進の好循環や国際的プラットフォームへの参加と国際的議論の醸成を提案し、「構造的課題についての問題提起が各国政府にも届いていく未来」と希望を語りました。 


デルガドさんは、このように日本で、政府機関・企業・NGOが一堂に会して、規制の枠組みとビジネスのオペレーションを統合して議論ができていることを高く評価しました。


中島さんは、EJF、シーフードレガシーなど7の組織・団体が運営理事を務めるグローバル・プラットフォームCoalition for Fisheries Transparency(CFT)が、2023年3月に「漁業の透明性に関する世界憲章」を発表したことを紹介し、「NGO・政府・民間企業の皆さんと一緒にこの業界を盛り上げていきたい」と抱負を語りました。 



今後に向けて、各登壇者が抱負を語る


オクラシンスキーさんは、「簡単ではないが、まずは社内システムを見直し、サプライチェーンと生産者が連携して一歩を踏み出すことから始めたい」と述べてセッションを締めくくりました。 



セッション1「持続可能なマグロ類調達の鍵となるMSC認証」のレポートはこちら

セッション3「マグロサプライチェーンの電子モニタリングの課題」のレポートはこちら

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